-total eclipse-書架

FTM作家・結州桜二郎(ゆいすおうじろう)の小説ブログ。

皆既日蝕⑤

第三章

 迎えた実務体験の日。八月四日。この日から悪夢は始まる。

 昼過ぎから先方との約束となっていたのだが、それが終わったら久しく会っていない幼馴染みの子と飲みに行ってくると出掛け際に告げられた。話によると、仕事のことでその子が悩んでいるようで、相談に乗ってほしいと急に誘われたのだという。美結には学生時代から関係が続いている友人が全く居らず、その子が唯一の何でも話せる親友だった。僕は快く「いってらっしゃい」と見送った。
 夕方、美結から実務体験が好感触だったので、恐らくこのまま採用してもらえそうだと電話があった。声色は明るく、
「悠二のお陰だよ。ありがとう」
と、いつになく上機嫌な調子だったので、こちらも安堵した。普段あまり夜間に遊びに出掛けない上に美結は見た目も派手な為、変な輩に目をつけられはしないかと心配だったので、
「明日は花火大会があるから今年こそは行こう。終バスまでには帰ってくるんだよ」
と、念を押すように言って電話を切った。

 独りの夜を過ごすことに慣れておらず、軽い鬱状態が未だに続いていた僕は、この一晩をどう過ごしたら良いのか不安になり、とりあえず髪を切りに行こうと思い立った。最寄駅まで十五分かけて自転車で向かい、駅から程近い美容室で調髪してもらった。そして、適当にラーメンや定食などを食べて家に帰ろうかと思ったのだが、不安感から煙草を買い、チェーン店の居酒屋へ一人で入った。
 平日の早い時間帯ということもあって店内は閑散としており、喫煙エリアは貸切状態だった。僕は美結と交際を始めてからおよそ三年近く禁煙をしていた。寿命を少しでも延ばせるように、少しでも長く一緒に居られるようにとの約束だった。だが、僕は客の居ない居酒屋の片隅でピースライトの封を開け、火を点けた。自らの弱さと寂しさから二人の間の堅い約束をいとも容易く破ってしまったのだ。久しぶりに吸った煙草はくらくらと僕を陶酔させ、猛烈な不安感を紛らわしてくれた。とても美味しいと感じたが、その鼻から抜ける風味は、どこか罪の香りがした。人は禁忌を犯す時、往々にしてそれと引き換えに甘美なる恍惚を得るものだ。自分の中でいつの間にか美結が必要不可欠な存在となっていたこと、美結が居ることがどれだけ当たり前になっているのかをつくづく思い知った。僕には職場で過ごす鬱々とした時間と、帰宅して美結と過ごす時間の二つしかなかったのだから、或る種の禁断症状のようなものが現れても不思議ではなかった。
 つまみを三品と、ハイボール米焼酎のロックを飲み干し酔いが回ってきたところで、ラテに餌を与える時間となった為、急いで自宅アパートまで引き返した。
 帰宅後、餌を食べさせてから戯れて遊んでいたのだが、まだ生後四ヶ月の子犬なのですぐに疲れて寝てしまった。その頃、丁度終バスの時刻が近付いていたのだが、美結から、友達が泣いてしまっているのでカラオケに場所を移す、今夜は帰れそうにない、といった内容の連絡が入った。出来ることなら朝帰りなどしてほしくはなかったが、友達がそんな状態では仕方ないと思い、
『わかった。危ないから気をつけるんだよ。始発で帰ってきて』と、返信した。
 その後、居酒屋で飲んだ酒が切れ始め、とてつもない不安と孤独が僕を襲った。家にあった白州をハイボールやロックにして浴びる程飲んだが、眠れない。睡眠導入剤は手元にあるが、こんなにも酒を飲んでしまった後で服用するのは危険だと思い、ひたすら酒にすがった。かなり酔っていたので記憶は朧げではあるが、心配で何度も美結に電話をしてしまった。しかし、一度たりとも出てはくれなかった。

 


 

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