-total eclipse-書架

FTM作家・結州桜二郎(ゆいすおうじろう)の小説ブログ。

皆既日蝕⑦

僕たち夫婦には周囲に秘密にしていることがあった。僕たちは子供を設けることが出来ないという問題を抱えていたのだ。それは、僕の身体的な問題――実は僕は性同一性障害で、出生時の性別は女性であった。美結と出会う以前に性別適合手術を受け男性に戸籍変更もしたものの、男性としての生殖能力は根本的に有していない。つまり、僕の遺伝子を受け継いだ子供がこの世に生まれることは不可能なのだ。このことに関しては恋愛関係になる以前に美結には告げており、それを受け入れてもらった上で交際が始まった。そして、美結も美結で交際前から子供への嫌悪感を僕に話していた。子供は好きじゃないから産みたくないのだと散々口にしていた。悪い表現を使ってしまえば僕たち二人の間には需給関係が成立しており、結婚相手として互いに都合が良かったのかもしれない。少なくとも僕は子孫を残せないことに対して根深い劣等意識を抱いていたので、彼女のような特異な考えを持つ女性としか結婚は疎か新たな恋愛に踏み切るつもりもなかった。そのような理由が美結との結婚を意識させた一因であったことを否定はしない。
 しかしながら、現代では医療も進歩しており、不妊治療の一環として人工受精をして出産することも可能であるし、そのようにして設けた子供を性同一性障害の夫婦の嫡出子として認められた判例があることも僕は知っていた。なので、今後もし美結が母性に目覚めるようなことがあった場合には、僕たちが選ぶべき手段はそれしかないだろうと心の片隅で秘かに決意はしていた。

 どんよりとした空気が夕刻まで家中に垂れ込み、夜通し外出して疲れている筈の美結は、昼寝もせずソファーに横たわってずっとスマートフォンをいじっていた。
「何見てるの?」
「花火大会もう間に合わないね」
僕が話し掛けても一切応じず、口を利こうともしない。堪え兼ねた僕は美結のスマートフォンを斜め後ろから覗き見た。美結が閲覧していたのは、人工受精について詳しく書かれたサイトだった。
 一先ず夜になってしまったので、僕が夕飯を作り二人で食べた。食欲があまりない様子で少量しか食べなかったのだが、美味しいかどうか訊ねると首を縦に振り、完食してくれた。食後、無表情でテレビをぼうっと眺めている美結に、僕は切り出した。
「子供のこと、さっきも言ったけど選択肢は一つしかないと思うんだ。人工受精で産むなら美結の遺伝子を持った子供が産まれる訳だし、それが俺たち夫婦にできるベストな手段だと思う。それか若しくは、孤児を引き取って里親になるか……」
美結はすかさず返した。
「そんなの嫌だ。二人の子供じゃなきゃ意味ないし、大体誰の精子貰うの?」
「普通の不妊の夫婦では親族から提供してもらうってこともあるみたいだけど、俺はそれは関係性が複雑になるから正直嫌だ。貰うなら精子バンクかな」
「誰の子か分からない子供なんか欲しくない」
美結は僕の目を見ようとはせず、俯いたまま駄々をこねる子供のようにひたすらに僕の意見を突っぱねる。
「自然なかたちで子供が産みたい。そうじゃなきゃいくら私の遺伝子が入っていても自分の子だと思えないし愛せない」
「自分が何を言ってるのか分かってる?それが出来ないからこうやって話し合ってるんだし、大体子供が出来ないのを承知の上で俺と結婚した訳じゃん。だったら俺たち夫婦に出来る選択肢の中から選んでやっていくしか方法はないと思うんだけど。それに今はラテもまだまだ小さくて躾しなきゃいけないんだからそれどころじゃないだろ」
僕が正論で返すと、美結は黙り込んでしまった。このようなやりとりを堂々めぐりのようにしている間に、夜も更け寝る時間になった。とてもじゃないが一緒に寝る気分にはなれず、僕はリビングのソファー、美結は寝室のベッドと別々の部屋で眠ることになった。
 なかなか寝付けなかった僕は美結から浴びせられた言葉の一つ一つを吐き気を催す程に反芻していた。子供のことについて責め立てられるのはこれまでの人生で何度目だろうか。あんなにも子供への嫌悪感を語っていた美結から、結婚して一年経ったこのタイミングでまさか自然妊娠で子供が産みたいと言われるとは思ってもみなかった。しかも、犬を飼い始めたことがきっかけで母性が芽生えるとは、何と奇妙な皮肉だろうか。僕に対する愛情が無くなってしまったから、このようなことを言い出したのではないのだろうか。様々な思考が糸屑のように頭の中で縺れ合った。やがて睡眠薬の効果が現れ、人為的な眠りへと落ちていった。

 

 

 

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