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FTM作家・結州桜二郎(ゆいすおうじろう)の小説ブログ。

皆既日蝕③

第二章

 美結との婚約後、居酒屋チェーン勤務の昼夜逆転の生活では今後の夫婦生活に支障をきたし兼ねないのではと危惧した僕は、タイ食材輸入卸業社が経営するタイ料理店に転職し勤務をしていた。店長という役職すら与えられてはいなかったものの、ホール責任者として店長業務は僕に全て一任されていた。そのような状況下で、二〇一四年四月にリニューアルオープンをすることが決まった。それまで二店舗しか展開していなかったのだが、僕が配属されていなかったもう一方の店舗が経営不振により閉店することとなったので、それに伴いメニュー内容を見直し、内装も変えてイメージを一新させようという狙いであった。
 ホール責任者であり事実上店長であった僕は、日々の店の営業や店長業務の傍らで、内装面は勿論のことドリンクメニューの見直しと新メニューの考案、更には料理・ドリンク両方のメニューブックとポスターのデザインや説明文の入稿・校正等のデザイナーとのやりとりも全てやらねばならず、体力も精神力もかなり極限まで来ていた。その上、それに加えてウェブでの告知や飲食店掲載サイトの更新もする必要があったので、休憩など全く取れず、通勤時間中も満員電車で人ごみに揉まれながらスマートフォンでメニューの説明文を書いてデザイナーに送ったり、ウェブに更新する原稿を書いたりと、家に着くまで息を吐く暇のない日々が続いた。多店舗展開しているまともな飲食業の会社なら統括マネージャーや広報担当者が居たりするので分担することが出来たのだろうが、飲食店を大々的に営む為の礎が築けていないところに無理難題を次々と押し付けられ、明らかに僕は心身共に限界に達していた。

 リニューアルオープンに際しかなりの労力を要し疲弊したが、いざ新メニューでの営業を開始するとお客様からの評判は上々で、料理は勿論のこと、僕がレシピを考案したオリジナルのカクテルとノンアルコールカクテルも、彩りが良く可愛らしいと女性客を中心に多くの注文を頂くことが出来た。リニューアル後、売上も更に上り調子となり、遂にはレストラン開店以来最高の売上を達成することが出来た。このことは僕に大きな自信と誇りとを齎し、努力が報われたことによる達成感が胸の中に充溢した。
 しかしながらリニューアルで来客数、売上等が伸びてきている中で、どういう訳か社長の僕に対する重圧が徐々に過剰なものとなっていった。日々の日報に対する批判や僕個人を罵倒するような内容を全社員宛てにメールで送る等され、屈辱感から帰り道、自転車を走らせながら涙を流す日もあった。記念すべき三十歳の誕生日には、アルバイトに降格してやると言われた。
 最初のうちは叩けば伸びるタイプだと誤認してそのような言葉をぶつけてきているのだろうと理解するよう努めた。見返してやろうという気持ちにもなった。だが実際のところ僕は自尊心が極めて高く、褒められないと伸びない性分なので次第に苛立ち、また、この状況がいつまで続くのだろうという不愉快さと不安から、睡眠障害の一症状である中途覚醒と、片頭痛を中心とした自律神経失調症と思われる症状が酷くなり始めた。美結に相談し、五月末の公休の日に、三年前に一時期通院していた精神科の門を再び叩いた。

 その後も、処方された眠りを深くする作用のある抗鬱剤を服用しながら日々重圧に耐え凌ぎ、仕事に勤しんでいた。しかし、六月中旬の或る日、僕の公休の日だと知っている上で朝から本社に顔を出せと社長から命令されたことにより、遂に我慢が限界に達した。
 前々から決まっていた予定をわざわざ変更し本社に出向いた。すると、二十分近く待たされた後に社長が会議室に入ってきた。リクライニングチェアに深々と腰掛けるや否や、酒焼けした声で罵倒と叱責の言葉を驟雨の如く浴びせ、それが終わったかと思うと今度は自分がどれだけ偉大で権力があるのかを語り始める。いつものお決まりのパターンだ。そのあまりに醜い姿に呆れ返り、パワーハラスメントの餌食にされているということを終ぞ自覚した僕は、怒りを腹の内で消化することが出来ず、社長を睨みつけた。無言の睨み合いが恐らく三分程続いた後、
「辞めたければ辞めろよ。俺は去る者は追わないから」
と、言われた。暴言を吐いてその場ですぐにでも辞職してしまいたい衝動に駆られたが、美結と愛犬の存在が頭を過ぎり、しばらく沈黙を保った。そして、ただひたすら心にもない謝罪の言葉を並べ同調の姿勢を示した。僕には守るべきものがあるのだから、次の仕事先が決まっていない状態で感情に任せて辞める訳にはいかないと冷静な判断を下せたからだ。
 しかしながら、何を言ってもどれだけ追い詰めてもこいつは辞めないだろうと思われている節をじりじりと感じ取り、歯痒くて口惜しくて仕方がなかった。自己愛性パーソナリティー障害の人間の自己愛を満たす為の道具にされることほど屈辱的で腹立たしいことはない。何故なら僕自身もまた自己愛性パーソナリティー障害の素質があることを自覚しており、自己愛を高く保つことによってコンプレックスを誤魔化しながら生き抜いてきた人間だからだ。自己愛の強い人間同士が良好な主従関係を築ける筈がない。衝突し合い、反撥し合うことは避けられないのである。少なくとも僕は酒焼けした声で権力を振りかざされたところで何も説得力を感じられなかったし、尊敬するに値しない男の下僕を演じ続けられるほど従順ではなかった。

 

 それからと言うもの、僅かな空き時間と公休を利用し、職場の同僚たちには秘密で必死になって転職活動をした。兎に角この会社から逃れて月々生活していけるだけの給与を稼げさえすればそれで良い。職種などこだわっている余裕はなかった。目先のことしか考えておらず、逃げ出すことにだけ固執していた。もう、うんざりだったのだ。
 ついには職場に向かうだけで気分が悪くなり、メールの着信があると社長からの叱責のメールが来たのではないかと不安になる状態にまで追い詰められた。食欲は徐々に減退し、過敏性腸症候群で腹を下した。重度の片頭痛で休憩時間中に嘔吐をしたことも何度もあった。
 薬がなくなった頃、精神科に再びかかり、今度は前回処方された抗鬱剤に加えて睡眠導入剤抗不安薬、頭痛薬、整腸剤が処方された。
 そのような心身共に不調の状態ではあったが、一社目の面接であっさり採用が決まった。職種はコンビニエンスストアの店長候補である。店長業務を現職でやっていることに加えて広報活動もしていることを話し、将来的に店舗経営をしてみたいと心にもない展望を語った。酷い抑鬱状態ではあったがなるべく笑顔を作り努めて明るく振る舞ったので、面接の時点から好感触だった。数日後、面接先から採用したいとの電話が入り、退職の為に一ヶ月半待ってもらうということで合意をした。

 

 

 

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皆既日蝕②

 饂飩が好きだと前に聞いていたので、富士吉田の人気店に赴いたがお盆期間中だったこともあり、生憎店は休みだった。
「ちゃんと調べてから来れば良かった。ごめんね」
「全然良いよ。ドライブしてるだけで十分楽しいし」
美結は笑顔でそう言ってくれた。敢えて明確な言葉にせずとも彼女の方にも好意があることがひしひしと感じられた。
 帰り際、闇夜に抱かれてすっかりと暗くなった車の中で、僕の方から愛の告白をし交際を申し込んだ。僕たちは固く手を握り合い、しっかりと互いの想いが重なり合っていることを実感した。
 この時から二人の関係は始まり、一年後には婚約も兼ねて結婚を前提に同棲生活を開始するに至った。些細な喧嘩をすることはあっても大喧嘩をしたことは一度もなく、僕らの関係性は極めて良好であった。波長が合うから会話の内容にはいつも事欠かなかったし、年が離れているお陰で過剰にぶつかり合わずに済んだのかもしれない。
 僕が見初めた通り、美結は歳月を重ねるにつれてどんどん綺麗になっていった。日増しに自分の理想の女性像へと変貌していく彼女を、僕は独り占めしたいと思った。
 同棲から約一年後、共同生活をした上で相性に問題がないと互いに判断した僕たちは、美結が体調を崩して突如正社員として働いていた仕事を辞めたこともきっかけとなって、遂に婚姻関係を結ぶに至った。

 しっかり者で美人でよく尽くしてくれる美結は、僕にとって自慢の妻だった。結婚後、貯金を始め翌年四月に美結の実家の近くのアパートに転居した僕たちは、仲睦まじく暮らしていた。
 初めての結婚記念日当日である七月十六日。約一ヶ月前にオーダーをしておいた結婚指輪を受け取りに、二人で表参道に在るジュエリーショップへと赴いた。僕たちの入籍は急なものだったので、まだ挙式は疎か指輪の交換もしていなかったのだ。太陽をモチーフにしたシャンパンゴールドの指輪をお互いの指に嵌め合って、僕たちは永遠の愛を誓い合った。そして、六月に飼い始めたばかりの愛犬といつまでも幸せな日々を送ることを約束した。

 しかし、その幸福の絶頂の僅か数週間後に事態は一変する。

 

 

 

FTM作家桜二郎のブログ『皆既日蝕 -total eclipse-』

 

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皆既日蝕①

 幾千もの流れ星のように乱反射した陽光が群青の空から降り注ぎ、嚆矢の如く心臓を貫いた。幸福だった筈の僕は突如地獄の底へと墜落していったのだ。仮初めの太陽は消失し、僕の両目から光を奪った。そして一つの悟りを与えたのだ。この世に存在する真実は一つのみであるということを。

 


第一章

 二〇一四年七月、僕は結婚一周年を迎えていた。

 妻の美結とは三年前に僕が正社員候補として採用された大手居酒屋チェーンの店舗で知り合った。彼女はそこでアルバイトをしていたのだ。六歳年下の彼女はまだまだ幼く、出会った当初は恋愛対象にはなり得ないだろうと思っていたが、共に働き会話を重ねていくにつれて人間性が垣間見え、惹かれていった。さばさばとした外面的な性格とは裏腹に心の奥底に深い闇を抱えていて、その意外性に僕は魅了された。この子とならまた恋愛することが出来るかもしれない。否、この子と恋がしたい。そう思った。
 奇しくも出会いから丁度二ヶ月目の日に僕たちはドライブデートをした。美結の自宅近くのドラッグストアーの駐車場まで迎えに行く約束をしていたので、到着してから車を停めてメールを送った。すると十分程で美結はやって来て、助手席に腰掛けるなり僕にペットボトルの紅茶と緑茶を差し出した。
「どっちがいい?」
僕は紅茶を受け取った。
「ありがとう」
 この日の美結は仕事に来る時の簡素な服装とはまるで違い、化粧も明らかに普段より濃かった。僕の為にお洒落をして来てくれたんだな、と嬉しく思った。他愛もない話をしながら車を走らせ、山中湖の辺りまで行き湖畔を眺めた。真夏の快晴の太陽を照り返した水面は眩く光り輝いてきらきらと美しく、都会では感じられないような爽やかな風が頬を打って、なんだかこそばゆかった。ちらりと覗き見た美結の横顔は、プラチナ色の陽光を受けて透き通るように白く、しかし、くっきりと浮かび上がって僕の目を捉えた。まだ二十一歳であったが、彼女の顔立ちは美しく、先天的な美貌を兼ね備えていた。それまで年上の女性にばかり恋い焦がれてきた僕であったが、彼女の日本人女性らしいシャープな目鼻立ちと、ワンレングスのロングヘアが似合う形の良い額と、何処かつんとした雰囲気に見惚れた。

 

FTM作家桜二郎のブログ『皆既日蝕 -total eclipse-』

 

 

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